天甕津日女命(アメノミカツヒメ)とは?出雲国風土記に記された正体と名前の由来

天甕津日女命のイメージ 神様図鑑

天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』に登場する女神です。「阿遅須枳高日子命の妻だと聞いたけれど本当なのか」「終焉の地があるというのはどういうことか」と気になる方も多いのではないでしょうか。本記事では、『出雲国風土記』の原文に基づき、天甕津日女命の正体と、混同されやすい「天御梶日女命」との関係を解説します。

ご利益や信仰の背景については「天甕津日女命のご利益とは?」、祀られている神社については「天甕津日女命を祀る神社ガイド」であわせて解説しています。

目次

天甕津日女命とは?基本プロフィール

出雲国風土記に登場する天甕津日女命のイメージ

天甕津日女命は、『出雲国風土記』にその名が記された女神です。『古事記』『日本書紀』には登場せず、出雲地方に固有の伝承として伝えられてきました。秋鹿郡伊農郷の地名由来説話では、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと)の后として描かれています。

項目内容
名前天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)
別称・異称天𤭖津日女命・天御梶日女命(玄松子氏は別名として掲載)、阿麻乃弥加都比女(尾張国風土記逸文)、天甕津姫命・天甕津媛命(神社由緒など)
登場文献『出雲国風土記』(『古事記』『日本書紀』には未登場)
夫神赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(伊努郷の条)
神格「甕(みか)=水・酒の器」の名を持つ女神。后神として伊努神社に配祀
主な祀り社伊努神社(出雲市)、多久神社(出雲市)、花長上神社(岐阜県揖斐川町)など(詳細は神社の記事)

出雲国風土記に記された伊努郷の地名由来

『出雲国風土記』の伊努郷に関しては、秋鹿郡伊農郷と出雲郡伊努郷の両方の由来が記されています。秋鹿郡伊農郷の条によれば、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の后である天甕津日女命が、国内をご巡行になった時にこの地へお着になり、「ああわが夫よ、伊農よ」とおっしゃったことが、伊農の地名の由来になったと伝えられます。

またこの「伊農波夜(いぬはや)」という言葉から「足怒(あしはやる)伊努」、つまり足取りを急ぐさまと結びつけて地名を説明する文も続きます。あくまで巡行と地名の由来を伝える説話であり、死や終焉を語る記述は原文にはありません。

一方、出雲郡伊努郷の条には「国引きをなさった意美豆努の命の御子、赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命の社が、郷の中に鎮座しておられる」とあり、夫神の社とともにこの地が語られています。

「天御梶日女命」との関係|原文の差異と同一視

天甕津日女命を調べる際に必ず出てくるのが、同じく『出雲国風土記』に登場する「天御梶日女命(あめのみかつひめのみこと)」です。まず、『出雲国風土記』楯縫郡の条の原文にあたる記述を紹介します。

阿遅須枳高日子根の后、天御梶日女の命が、多具の村においでになって、多伎都比古の命をお産みになった。その時、胎児の御子に教えて仰せられたことには、「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。生きてゆこうと思うならば、ここがちょうどいい」とおっしゃった。

つまり『出雲国風土記』の原文を郷ごとに読むと、伊農郷の天甕津日女命(夫は赤衾伊農意保須美比古佐和気能命)と、楯縫郡の天御梶日女命(夫は阿遅須枳高日子根、子は多伎都比古命)は、登場する場所も夫神も異なる記述になっています。両者の違いを整理すると次の通りです。

比較項目天甕津日女命天御梶日女命
登場する場所秋鹿郡・出雲郡 伊努郷楯縫郡(多具の村)
夫神赤衾伊農意保須美比古佐和気能命阿遅須枳高日子根命
子特に記述なし多伎都比古命(雨乞いの神)
物語の内容巡行と伊努の地名由来出産と御子への言葉の説話

そのうえで押さえておきたいのは、神社での祀りや研究者の間では、この2つの呼称を同一神(異称)として扱うのが一般的だという点です。神社・神名データベースの「玄松子」は天御梶日女命を天甕津日女命の別名として掲げ、多久神社(出雲市)を天甕津日女命の祀り社として紹介しています。神社ファンも「天御梶日女命とも表記される」とし、同じく多伎都比古命の出産説話や、後述の尾張国風土記の伝承を天甕津日女命の説話として説明しています。つまり「別の女神」と断定するのは原文の差異を重んじる読み方であり、一般的には同一神の異なる表記・異伝として理解されている、というのが実情です。

本記事では、読者の方が混乱しないよう「原文上の差異」と「神社信仰での同一視」の両面を区別して解説しています。夫神や子に関する情報は、どちらの呼称・伝承に基づくものかを意識して読み分けると正確です。

別称と尾張国風土記逸文の伝承

天甕津日女命には、文献によって複数の表記・別称が伝わっています。『出雲国風土記』では天甕津日女命、逸文として知られるのが「阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)」で、神社の由緒などでは天甕津姫命・天甕津媛命と記されることもあります。

とりわけ重要なのが『尾張国風土記』逸文の説話です。それによれば、第11代垂仁天皇の御子・品津別皇子が七歳になっても言葉を話せずにおったところ、皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃弥加都比女が現れ、「私を祀れば皇子は話すようになるだろう」と告げたといいます。この説話は、愛知県一宮市の阿豆良神社の由緒として受け継がれており、天甕津日女命(阿麻乃弥加都比女)の信仰が出雲のほか尾張の地にも及んでいたことを示す貴重な伝承です。

名前の意味「甕(みか)」に込められた由来

「ミカツヒメ」は「甕(みか)の女神」というニュアンスを持つという表現

「甕(みか)」は、古代日本において酒や水を貯蔵するための大きな土器を指す言葉です。「ミカツヒメ」は「甕(みか)の女神」というニュアンスを持ち、水や酒といった、生命と神事に欠かせないものを司る神格を象徴していると考えられています。稲作を中心とした古代出雲の農耕社会において、水を蓄える器そのものが、神聖な信仰の対象であったことがうかがえます。

系譜|国引き神・八束水臣津野命の御子神の后

天甕津日女命の夫・赤衾伊農意保須美比古佐和気能命は、『出雲国風土記』の「国引き神話」で知られる八束水臣津野命(意美豆努命)の御子神です。この系譜では、夫神は素戔嗚命と櫛名田比売の子孫、すなわち大国主命の先祖に当たる神様と位置づけられています。島根県神社庁の伊努神社の由緒も「國引きの神、意美豆努命(八束水臣津野命)の御子神であることがわかる」と記しており、天甕津日女命はこの出雲創世の系譲に連なる后神として位置づけられています。

また、夫神は伊努神社において穀霊神として崇められており、その后神である天甕津日女命との夫婦神信仰は、五穀の生育と食の恵みをもたらす神々として出雲の農耕社会で重要な役割を担っていたと考えられます。

よくある質問(FAQ)

Q. 天甕津日女命は阿遅須枳高日子命の妻ですか?

A. 『出雲国風土記』の原文では、阿遅須枳高日子根の后とされているのは天御梶日女命(楯縫郡の条)です。ただし、天甕津日女命と天御梶日女命は同一神(異称)として扱われるのが一般的で、その場合「阿遅須枳高日子根の妻」という伝承も天甕津日女命に重ねて語られることになります。原文の差異と同一視の両面を踏まえて理解すると正確です。

Q. 「ミカツヒメ終焉の地」というのは本当ですか?

A. 『出雲国風土記』の原文は、巡行中にこの地へ着いて「ああわが夫よ、伊農よ」と言葉を発したことが地名の由来になったという内容で、死や終焉を語るものではありません。ただし伊努神社では、本殿裏の古墳を神陵とする伝承が地元で紹介されることもあり、後世の解釈として「終焉の地」と語られる場合があるようです。

Q. 天甕津日女命と天御梶日女命は別の女神ですか?

A. 風土記の原文上は登場場所・夫神が異なる記述ですが、神社での祀りや神名データベースでは同一神(異称)として扱われるのが一般的です。混同ではなく「同一神の異伝」として理解しておくとよいでしょう。

Q. 天甕津日女命は古事記や日本書紀にも登場しますか?

A. いいえ、登場しません。『出雲国風土記』および『尾張国風土記』逸文などに記された、出雲を中心とした固有の女神です。

Q. 天甕津日女命には別名がありますか?

A. 天𤭖津日女命・天御梶日女命(玄松子氏)、阿麻乃弥加都比女(尾張国風土記逸文)、天甕津姫命・天甕津媛命(神社由緒)などの別称・異称が知られています。

Q. 天甕津日女命の夫はどんな神様ですか?

A. 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という神で、国引き神話で知られる八束水臣津野命の御子神です。伊努神社では穀霊神として崇められています。

関連記事

参考文献・出典

  • 『出雲国風土記』(733年)秋鹿郡伊農郷・出雲郡伊努郷・楯縫郡の条
  • 『尾張国風土記』逸文
  • 玄松子「祭神記」天甕津日女命(https://genbu.net/saijin/amenomikatu.htm)
  • 神社ファン「天甕津日女命」(https://jinjafan.jp/god/0121/)
  • 島根県神社庁「伊努神社」(https://www.shimane-jinjacho.or.jp/izumo/ed91757a323daf544ed1511d2b015ebc08baa95a.html)
  • 出雲市公式サイト「伊努神社」(https://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1614663669337/index.html)

コメント

タイトルとURLをコピーしました